東京の熱帯、夢の島を歩く。
2024年6月
|
新木場駅前ロータリー |
JR京葉線、東京メトロ有楽町線、りんかい線などが乗り入れる新木場駅。その改札を抜けて、駅前のロータリーに出て来ました。実は、この近くには熱帯の島があって、今日はそこを散歩しようって訳なんです。
ところで、東京23区内のこんな所に、何でトロピカルアイランドなんかが在るのかって?
それはそのうちに分かります・・・ |
|
カナダの林産審議会から贈られたトーテムポール |
駅前のロータリー広場には、ご覧の様なトーテムポールと並んで、「木のまち新木場」と記されたタワーサインが。その意味はと言うと・・・
そもそも木場とは、伐採された木材を保管しておく場所(貯木場)の事で、嘗て江戸時代のころ深川にあったものが、昭和40年代の高度成長期に、この地へと移転したのでした。だから、新しい木場で新木場なんですね。そんな訳でこのトーテムポールは、木材産業発展のシンボルとして昭和59年に、トーテムポールの御本家カナダから江東区へ贈られたもので、江東区内ではこの他の2箇所でも、同様のトーテムポールを見る事が出来るんです。 |
そんな新木場の貯木場ではありますが、近年に至っては物流の進化などに伴い、貯木場の利用は減少していて、この新木場上空の航空写真を見ても、貯木されている木材の少ない事が分かります。 |
|
海とみやこどり |
とは言え、この街には多くの木材業者が集まっていて、日本を代表する木材業の中心地の一つである事に変わりはないので、木材の街としてのアピールは、この新木場駅に於いても随所に見られます。そんな中のひとつが、有楽町線の改札口内に展示された、このパブリックアート。ヒバとケヤキで、波間を飛ぶ2羽のゆりかもめが表現されたレリーフで、「新木場駅」の銘鈑が取り付けられた木材は、樹齢350年のケヤキの大木です。 |
|
大ガードを抜ける |
前置きはともあれ、夢のトロピカルアイランドへと早速向う事にしましょう。
正面に駅前ロータリー広場を見て右手に進むと大ガードがあるので、先ずはこれを抜けます。頭上を走るのは鉄道各線と、首都高速湾岸線。 |
|
明治通り沿いに進む |
そして大ガードを抜けると早々に、東京の熱帯、夢の島に上陸です。
えっ? ちっともトロピカルアイランドじゃないって?
そうなんです。実はこの辺り一帯の地域は、島は島でも、東京都江東区夢の島という町名なのでありまして、その多くの部分を、開園面積43万3千平米余り、東京ドームが九つも入る広さの、夢の島公園という都立公園が占めているんです。そしてその夢の島公園を、ごくシンプルに公園散歩してみようというのが本日のプラン。だけどこれから段々と、トロピカル感が増して行くっていうのは嘘ではありません。
左手を走る都道306号線明治通り沿いに、ともかくそのまま進んで行きましょう。 |
|
ゆうかり橋 |
新木場駅をスタートして300m足らず、前方に見えて来た陸橋はゆうかり橋。そしてここからが夢の島公園です。ゆうかり橋を渡って園内へ。
ところで、この辺りの地域はなぜ夢の島という地名なんでしょうか。それは東京湾を埋め立てて造った人工島だから。一応やっぱり、島だったんですね。実際、ここに立っていても島という実感が湧かないんだけれど、少し前に掲げたマップを見ると、陸地から離れて東京湾に飛び出している事が良く分かります。 |
|
熱帯の島の散歩スタートです |
先の大戦中に、飛行場用地として東京湾を埋め立てたのが始りのこの地。しかし終戦を経た昭和22年、用途が決まらないまま放置されていたこの土地に、なんと海水浴場がオープンしたのでした。そしてそのキャッチコピーは、なんとなんと東京のハワイ。そんな事から、この埋め立て地は次第に「夢の島」と呼ばれるようになり、後に現在の様な行政地名にまで採用されたと言う訳なんです。
しかしこの埋め立て地には、その後数奇な運命が待ち構えているのでした。 |
|
園内の緑に癒されます |
東京のハワイの海水浴場も、その後3年ほどで閉鎖になってしまいます。そして昭和32年から、この土地が今度は埋め立てゴミ処分場として生まれ変わり、その後の10年余り、東京都内の生ゴミを始めとした膨大なゴミが、日々絶え間なく運び込まれるという事になるんです。結果、ガスの発生や悪臭、加えて害獣・害虫の異常発生など、深刻なゴミ公害が問題となり、しかし皮肉にも「ゴミの島」と化しながら、その後も「夢の島」と呼ばれ続けていたんです。 |
|
陸上競技場 トラック |
転機は昭和49年。近くにゴミ処理施設の、江東清掃工場が完成したことで、この夢の島の様々なゴミ問題が解決へと向かい始めたのでした。同時に、ゴミで埋め立てられたこの場所はその後整備され、この夢の島公園として昭和53年に開園します。現在江東清掃工場は、平成10年に建て替えられて、新江東清掃工場として可燃ごみの焼却処理を行っているのですが、その際に発生した熱は、後述の様に、この公園の運営にちょっとした貢献をしているんです。 |
|
アーチェリー場 |
こうして東京の熱帯・東京のハワイを散歩していると、ある事に気づきます。それは公園内に、陸上競技場などのスポーツ施設が多い事。ご覧の芝生広場は、アーチェリー競技場でもあり、2020東京オリンピック・パラリンピックの時にも、アーチェリーの会場として利用されました。という事でこの夢の島公園、スポーツ公園という一面もあるんですね。 |
|
BumB東京スポーツ文化館 |
この建物は、BumB東京スポーツ文化館。建物内には多数の屋内スポーツ施設の他、音楽スタジオや研修室などもある事から、学問と武芸の文武で、BumBと名付けられたらしい。その他レストランやキッズルーム、宿泊施設まで揃っています。 |
|
ここでもトーテムポールが |
公園内の散策路を歩いていたら、新木場駅前に続いてここでも又また、トーテムポールを見つけました。こちらの方は、御本家カナダから贈られたものでは無い様ですが、何れにせよここでも、ささやかながら木材の街としてのアピールを感じます。 |
|
東京都夢の島熱帯植物館 |
公園内でもひときわ目立つ、巨大な三つのガラスドームが並んだこの建築物は、東京都夢の島熱帯植物館。実はこれこそが、夢の島のトロピカルアイランドたる所以だったのでありました。では早速、熱帯の楽園を歩いてみようと思います。入場料金は一般250円。 |
|
東京の熱帯を散歩する |
夢の島熱帯植物館の開館は昭和63年。そしてその開館と施設の運営には、先にも少し触れたように、近くにある新江東清掃工場と、工場から発生するごみの焼却余熱が深く関わっているんです。 |
|
熱帯雨林をリアルに再現 |
つまり、熱帯地方の自然環境に近付けるために、冬でも25度に保たれている温室内の暖房などを、全て清掃工場の焼却熱のエネルギーで賄っているのでした。 |
|
裏見の滝もありました |
6,000坪余りの敷地内に建てられた、三つの巨大な温室ドーム内には、熱帯雨林がリアルに再現されていて、歩いて周るだけでもとっても楽しい。 |
|
熱帯の家が建つBドーム |
A・B・Cに区分けされた三つのドームには、それぞれ水辺・人里・(日本の)小笠原というテーマの基に、数多くの熱帯植物が栽培・展示されています。 |
|
遊具もあります |
施設内には、こんな子供用の遊具なんかもあったりします。今日は平日なので子供たちの姿は殆ど見掛けないけど、土日や祝祭日ともなると、子連れのパパママの姿がグッと増えるらしい。 |
|
食虫植物温室 |
ここは食虫植物の温室。沢山の「肉食系」が栽培・展示されていました。 |
|
ブロッキニア |
これはそんな中の一つ、パイナップル科のブロッキニア。筒状に巻いた葉の中を覗いてみると、底には水が溜まっています。実はこの液体、甘い香りを発しながら蟻を誘き寄せて、液体の中に落としてしまうらしい。画像でも、餌食になったアリ君が確認できます。
何事も、甘い汁にはご用心ってワケですね。 |
|
カフェは休業中 |
館内にはカフェがあって、トロピカルドリンクやデザートが飲食できるって事で楽しみにして来たんだけど、なんと取材時現在、リニューアルの為に休業中。しかしながら、無料休憩所としてスペース内を利用できるみたいなので、窓辺に映るジャングルを眺めながら、この辺でちょっと小休止です。 |
|
前庭に出て来ました |
ガラスドームの大温室から出て来ると、ベンチが設けられた広い芝生の前庭があって、ハーブ園なんかもあったりします。その前庭に展示されていたこの巨大な木の幹は、マレーシアから運ばれて来た、周囲7mで高さは50mもあった大木の幹なんです。 |
|
東京夢の島マリーナ |
トロピカルアイランド夢の島公園の、北側に隣接してあるのは、ヨットハーバーの東京夢の島マリーナ。 |
|
マリンセンター |
そのマリンセンター内にはレストランもあって、ヨットハーバーを眺めながらランチやディナー、バーベキューなども楽しめます。 |
|
マリーナ通り |
夢の島マリーナを右手に置いて、夢の島公園に設けられたプロムナード、マリーナ通りを歩いて行きましょう。左手には、夢の島熱帯植物館のガラスドームが、顔を覗かせています。 |
|
第五福竜丸展示館 |
公園の東の端から西の端へと、マリーナ通りを400mほど歩いて行くと、大きな切妻屋根を被せた様な、ユニークなデザインの建物が左手に現れました。ここは東京都立第五福竜丸展示館。 |
|
第五福竜丸 |
施設内に入ると、館内のスペースいっぱいに、大きくて古めかしい木造船がドーンと置かれていました。長さおよそ29m、重さ140トン余りのこの船の船首には、第五福龍(竜)丸の文字が記されています。 |
|
第五福竜丸 操舵室付近 |
昭和22年にカツオ漁船として建造されたこの船は、その後の昭和26年にマグロ漁船として改造され、静岡県の焼津漁港から遠洋漁業に出ていました。 |
|
多くの資料が展示された館内 |
東西冷戦下の昭和29年3月1日。日本から南東におよそ3700km離れた、マーシャル諸島のビキニ環礁で、アメリカ軍による水爆実験が行われます。そして折しもこの時、付近で操業中だった第五福竜丸の乗組員23人は、広島原爆の1000倍の爆発力とも言われるこの核爆弾の放射能によって、アメリカが定めていた危険区域から遥かに離れていたとはいえ、被曝してしまうのでした。いわゆるビキニ事件です。 |
|
船体から採取された死の灰 |
当時、平均年齢が25歳ほどだった第五福竜丸の若い船員たちは、被曝後間もなく頭痛や吐き気、火傷や脱毛といった重い症状に襲われて、焼津港に寄港した後、直ちに入院・治療に入りました。しかしながらその半年後、最年長の乗組員であった被災時39歳の無線長の男性が、放射能症のために亡くなり、他の乗組員の何人かも、治療時の輸血に因る感染症が原因と思われる疾病などで、天寿を全うする事なく亡くなったのでした。 |
|
ビキニ事件調査に使用された放射能測定機 |
ビキニ事件後の第五福竜丸は、安全性確認の為の放射能観察を経て、昭和31年に改修されて水産大学の練習船に生まれ変わるのですが、昭和42年に老朽化のため廃船処分となって、ゴミ埋立場時代のここ夢の島に投棄されたのでした。そして暫くは、人知れず放置されたままになっていた所、これを知った人々が保存運動を立ち上げた事もあり、東京都によって昭和51年に、この展示館が建てられたと言う訳なんです。 |
|
マグロ塚 |
第五福竜丸が漁獲したマグロが放射能汚染された事で、食料不安が広がり、その後にも他の漁船から放射能が検出されたりもしたために、大量のマグロが廃棄されてしまいます。そんな訳で展示館の外庭には、第五福竜丸乗組員の一人が呼び掛け人となって、このマグロ塚が建立されたのでした。 |
|
久保山愛吉記念碑 |
同様に、展示館の外庭に建立されたこの石碑は、久保山愛吉記念碑。この碑には、ビキニ事件の最初の犠牲者となってしまった久保山無線長が、亡くなる前に遺した言葉が刻まれています。
「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」 |
|
第五福竜丸のエンジン |
これは、第五福竜丸で使用されていたエンジン。船が昭和42年に廃船となった後、エンジンは他の船舶に取り付けられて、現役継続の運びとなったのですが、なんと翌年にその船は沈没してしまい、エンジンは海の底へ。永らくそのままにされていたのですが、平成8年に海底から引き揚げられて、現在ここに展示されています。 |
|
バーベキュー広場 |
第五福竜丸展示館をあとにして、トロピカルアイランドの散歩を再開。夢の島公園の北側に位置する、広くて明るいバーベキュー広場を貫く散策路を進んで行きましょう。 |
|
マリーナを眺めながら進む |
この場所から眺める夢の島アリーナの係留バースでは、沢山の大型クルーザーが繋がれています。 |
|
なぎさ橋 |
夢の島公園の北端まで進んで行くと、陸橋が見えて来ました。これはなぎさ橋。ここが公園北側の出入口です。この歩道橋で明治通りを越えて、夢の島総合運動場へ。 |
|
ジョギングコースを進む |
明治通りを挟んで、夢の島公園と向かい合うこのスペースも、広い意味では夢の島公園の西側エリアという事が出来ます。そしてここには、5000人余りの観客を収容できる江東区夢の島競技場や、ナイター設備を擁する軟式野球場8面、ジョギング・ウォーキングコース等が設けられているんです。 |
|
土管トイレです |
ジョギングコース脇に、何やら土管の様な物が三つ並んでいました。これ実は手洗いで、そのまんま土管RESTSPACEと呼ばれているらしい。 |
|
大ガードを抜けて |
ジョギングコースを南方向へ700mほど進み、夢の島総合運動場の南の端までやって来ると、正面に明治通りと首都高速湾岸線の大ガードが見えて来ました。 |
|
新木場駅前に到着 |
大ガードを抜けると、スタート地の新木場駅前に到着。トロピカルアイランドの散歩も、無事にここで終了です。 |
★交通 |
JR京葉線・他 新木場駅下車 |
★歩行距離 |
約 4.0 km |
周辺地図
|